愛知医療学院短期大学

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教員リレーコラム

「続・家族を送る」

加藤 真夕美 [作業療法学専攻]

昨年の今頃、当コラムを執筆した。「家族を送る」―義理の父との死別体験の記録である。
あれから一年。一周忌の後、義母と「早い一年でしたね」という雑談をした。
加齢とともに体験する年月の経過は、加速する。
しかしこの加速体験は、大切な家族と離別した者にとって、新たな感覚を付加する。
この一年の、母の回想。

悲しみや寂しさは 時が解決してくれる と皆言うけれど
忙しすぎてあっという間だったけれど 忙しさの合間にふっと 寂しさが込み上げてくる
朝起きると今でも 隣にいる気がする もうベッドも人にあげちゃったのに
一年じゃ まだまだ

まもなく6歳を迎える我が息子も、ときどき亡祖父の幻影を見る。
「さっきおじいちゃんが隣のレーンでボウリングしてたよ。パーフェクトだった」
...そっか。すごいね。それはすごい。

かれこれ15年前に訪問リハで担当した方のご家族と、近年まで年賀状のやり取りをさせて頂いた。
ご家族A様は訪問リハの利用者である実母の介護を、文字通り献身的に引き受けられてきた。
「私がやらないと」が口癖であった。母の苦しみは自分の苦しみ、母の嬉しさは自分の嬉しさ。
寝たきりの母のためにROMエクササイズを毎日続け、ほとんど拘縮もなく晩年を迎えられた。
母が喜ぶことを、些細なことでも見つけ、母のために行動された。
私が訪問リハの担当から離れてから6年後、お母様はお亡くなりになられた。
その2年後の年賀状には「まだめそめそしています」と書かれていた。
しかしその5年後の年賀状。
「あなたの笑顔で救われました。ありがとう。これで年賀状は最後にしようと思います」
読み終えた途端、号泣した。
ああようやく次の一歩を踏み出されたのだ。ご自分の人生を生きる決意をなされたのだ。
A様に対する尊敬と安堵。
7年の歳月である。

これを長いというか、短いというか。

人と人との繋がりは、決して目に見える肉体という物理的なものだけではない。
亡くなった後も、誰かの心に住み続け、影響を与え続ける。
人の人生は、過去から連続した日々の中で様々な思いが交錯して今がある...
このような当たり前のことを、対象者を目の前にしたOT・PTは忘れてはいけない。


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