愛知医療学院短期大学

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教員リレーコラム

「捨てる」ということ

草川 裕也 [作業療法学専攻]

新年あけましておめでとうございます。
昨年4月より本学教員として着任し、あと3カ月で1年が経ちます。
昨年は、本当に慌ただしく、そして激動の1年でしたが、今年は落ち着きながらも活動的な1年にしたいと思っております。
皆様、今年もよろしくお願い致します。

さて、今回のコラムですが、新年を迎えたばかりのこの時期に相応しくないと思いながらも、「捨てる」ということについて述べていきます。(なにぶん、昨年末に書いておりますので、ご容赦下さい。)

新年を迎え、多くの方が、昔の嫌なこと、昨年の汚れを捨ててきたと思います。
そして、年の変わり目に限らず、ものごとの節目には、何かを捨てます。

私も昨年、退職、引っ越しに際し、多くのものを捨てました。
残せるのならば、残したいと思えるものはたくさんありますが、部屋の広さなどスペースの問題、見た目の問題のために、何かを捨てる必要があります。
そして、形があるもの以外であっても、パソコンのデータ、写真、メール、録画番組などは、許容量を超える場合、捨てざるを得ません。

この「捨てる」という行為は、簡単なようでとても難しいことであると私は感じています。
私は「捨てる」ことが苦手な人間です。
他人が見たら、ただのゴミとしか思えないものであっても、「いつか必要なときが来るのでは」と考えてしまい、捨てられません。

最近、最小限のもので暮らす人や最小限主義者を表す「ミニマリスト」という言葉が広まり、「捨てる」という行為が話題になっています。
自分とは関係ないと思っていましたが、引っ越しを機に、私も少し考えるようになりました。
そして、最近は「捨てる」前の「選択」、「選定」という行為が重要であると考えています。
この「選択」、「選定」をしっかりと行えれば、自分の周りには本当に大切なものばかりが残るはずです。
また、今まで気がつかなかった大切なものに気づくことがあるかもしれません。
この点については、「捨てる」というより、勝手に消えていくことの方が多い、知識や思い出、興味、交友関係などにも同じことが言えると思います。
なぜならば、部屋のスペースや電子機器と同様に、人間にも許容量があると感じているからです。

「あれをやりたい」、「これもしたい」と興味があっても、1日は24時間であり、自分は1人であり、限られたことしかできません。
夢や希望も、限られた人生(寿命)の中では、「捨てる」必要があるのかもしれません。
このように、人生においては、「捨てる」ことの繰り返しです。
そして、世の中には、お金で買い戻せたり、一度捨てても取り戻せるものと、一度捨てたら二度と取り戻せないものがあります。
「ミニマリスト」という生き方は、人によっては極端な生き方なのかもしれませんが、節目には、「捨てる」かどうかを真剣に考えなければいけません。

学生のみなさん、学生でいられる時間も限りがあります。
よく考えてみて下さい。捨てた方がいいものはありませんか。
私も本当に大切なものをしっかりと見極めながら、一年を過ごしていこうと思います。

最後に、皆様にとって2016年が充実した一年となりますようお祈り申し上げます。

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